「国宝・妻沼聖天堂の魅力」シリーズ14

 

奥殿脇障子羽目彫刻

 奥殿南北側面には脇障子を設け、イチョウの一枚板を高肉彫した羽目彫刻が入れてあります。
 南側の背景は椿、北側は柏と長春が彫られ、四季を通じて花があり、永久に春であることなどの願望が表されているものと思われます。
 片面を見て直後に反対側を見ると、表と裏の画面は繋がっており、表裏一体の作品になっていることが解ります。
 日光東照宮の国宝・蟇股の「眠り猫」彫刻も、表側の猫と裏側に彫られた2羽の雀たちが、これと同じ彫り方になっています。
 一枚の板に籠彫の要素を持たせ、あたかも二枚の彫刻であるかのように見せた、見事な透彫り彫刻に仕上がっています。

奥殿脇障子羽目彫刻
奥殿脇障子羽目彫刻

 

奥殿北西隅・八双金具

 奥殿・北西隅の足元長押の錺金具には、「長谷川重右衛門」の銘が確認できます。
 寛保2年(1742)、関東地方を襲った豪雨・大水害の復旧工事のため、幕府御手伝普請として妻沼に派遣されたのが、岩国・吉川家でした。
 安全祈願のため、再建中の聖天宮を訪れた吉川家作事方棟梁・長谷川重右衛門は、壮麗な本殿の威容に驚きました。
 重右衛門もまた優れた技術者であることから、「名工は名工を知る」の通りで、聖天宮の威容を前に、これを契機に聖天堂大工棟梁・林兵庫正清と意気投合したようです。長谷川重右衛門は、この壮麗な聖天堂に相応しい総門として、京の宮廷建築大工として、番匠秘伝の「貴惣門」の設計を引き受けた、ということが正清宛ての重右衛門の書状に残っています。

「長谷川重右衛門」銘の錺金具
「長谷川重右衛門」銘の錺金具

 復旧工事を終え、岩国に帰った重右衛門が送ってくれた設計図(絵図面)を基に、約100年後、林正清の5代目・正道によって造営されたのが、我国随一といわれる聖天様の総門・国の重要文化財の「貴惣門」だったのです。
 因みに、岩国の錦帯橋を建造した大工棟梁は、この重右衛門の先祖であり、妻沼聖天さまと遠く離れた山口県岩国との深い縁が、今も結ばれているのです。
 次回は、この長谷川重右衛門の設計図をもとに造営された、重・文「貴惣門」についてご紹介しましょう。(文・写真:阿部修治)

 

著者紹介:熊谷市在住。上武郷土史研究会主宰、阿うんの会・講師。
     全国歴史研究会、埼玉県郷土文化会、木曽義仲史学会、他各種会員。
主な著書:『妻沼聖天山』、『甦る「聖天山本殿」と上州彫物師たちの足跡』(以上さきたま出版会)、『寺社の装飾彫刻・関東編上』(日貿出版社)、
     『斎藤氏と聖天堂』(熊谷市立熊谷図書館)、『歴史と文化の町・“めぬま”』(阿うんの会)

 

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